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洋々LABO > 大学別情報 > 慶應義塾大学 > ホリエッティの「三大陸周遊記」目から鱗

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シリア内線が勃発する直前2010年と2009年、シリアを周遊する機会を得たことは幸運だった。破壊された世界遺産パルミラもさることながら、当コラム第2回で紹介した拙編著『新プラトン主義を学ぶ人のために』(世界思想社)(同社はじつは、大学入試過去問解説で有名な教学社の表の(裏の?)名前である。赤本で稼いでいるから、人文系の悠長な本も出せるわけだ)表紙に載せた写真のアパメアの列柱街道には圧倒された。

アパメアは2世紀から4世紀にかけて、ヌーメニオス→アメリオス→イアンブリコスと続いたプラトニストたちの拠点であった。もう一つの最大の目的地は、北東部の一般観光客は寄りつかないラス・アル・アインという都市とユーフラテス上流ハーブール川にあったのだが、それについては別の機会に触れることもあろう。翌年なぜシリアを再訪したかと言えば、いったん行くと、飽き足らない/行き足りないものが次々に露わになるという現象が旅にはつきものだからである。

新約聖書の「使徒行伝」には、パウロの劇的な回心場面が描かれる。「回心」は英語で「コンヴァージョン」、元のラテン語では「コンヴェルシオ」(conversio)だが、vertoは「向ける」、前綴りのcon-は「すっかり」のように「完遂」を表わすから、「コンヴェルシオ」とは、「すっかり魂を向け換えてしまうこと」を意味する。古き自己に死に、新しい自己に目覚めるのである。

パウロはユダヤ人の先頭に立って、キリスト教徒たちを迫害していたが、現シリアの首都ダマスクス近郊で神秘の啓示を体験する。そして以後は、ユダヤ教から脱皮し、逆にキリスト教を高らかに宣教し始め、ユダヤ人に命を狙われるまでに変貌するのだ。問題の一節を引用してみよう。

さて、パウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺害しようと意気込んで、大祭司のところに行き、ダマスクスの諸会堂宛の手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

ところが旅の途中、ダマスクスに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。パウロは地に倒れ、「パウロ、パウロ、なぜ私を迫害するのか」と語りかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「私はあなたが迫害しているイエスである。立ち上がって町に入れ。そうすれば。あなたのなすべきことが告げられる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、誰の姿も見えないので、ものも言えず立っていた。

パウロは地面から起き上がって目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスクスに連れて行った。パウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

ところで、ダマスクスにアナニアと言う弟子がいた。幻の中で主が「アナニア」と呼びかけると、アナニアは「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、「まっすぐ」と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるパウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。彼は今祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」

しかし、アナニアは答えた。「主よ、私はその男がエルサレムであなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて縛り上げる権限を、祭司長から受けています。」

すると、主は言われた。「行け。あの者は異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前に、私の名を運ぶために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、彼に知らせてあげよう。」

そこで、アナニアは出かけて行って、ユダの家に入り、パウロの上に手を置いて言った。「兄弟パウロ、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです。」

すると、たちまち目から鱗のようなものが落ち、パウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして、元気を取り戻した。

(「使徒行伝」9章1-19節)(新共同訳2018年から引用したが、文脈に応じて変更を加えた)

2009年にダマスクス市内の「まっすぐ」と呼ばれる道は見た。旧市街の中央を東西に走るその道は目印なのだ。つまり、ほかは迷路のように入り組み、じっさい、私も迷子になりかけた。その「まっすぐな道」のすぐ横にある、パウロの運び込まれた家をガイドは指差し教えてくれた。

また、教会になったアナニアの家もあった。しかし、肝腎の回心の転機となったダマスクス近郊の場所は判らなかった。そこにこそ、どうしても行きたくなった。「ゲニウス・ロキー」というラテン語がある。

英語でgeniusの最も一般的意味は「天才」になってしまったが、genius lociは「その土地土地の守護霊」という意味になる。神的存在への実体化が嫌ならば、それぞれの地が有する精神文化というか、エネルギーと捉えてもよいだろう。パウロに私自身を重ねるには、パウロの啓示地点の息吹を自ら浴びなければならないという決意へと、いつしか固まっていった。

そこは調べると、コーカブの丘と現代呼ばれ、ダマスクス南西18kmに位置していた。仕切り直して出向くのに一年かかった。晴れて翌年、懸案のパワースポットに辿り着いた。ガイドと赴くと、現代の教会が建てられてはいたが、その日は訪れる者とて絶えてなかった。

パウロは神に操られたアナニアの按手を受けると、「目から鱗のようなもの落ち」、再び見えるようになったという。これこそが、「目から鱗が落ちる」という言い回しの典拠なのである。しかし、原文をよく眺めると謎がある。どこで、鱗が付いたのであろうか。

パウロが主の声を聞いたコーカブの丘では、天からの光がパウロを照らしただけである。ただ「照らす」だけでなく、「ペリアストラプトー」という動詞の前綴り「ペリ」をしっかり訳して、「周囲から取り囲んで照らす」という意味になっている。だとしても、光による照射が目に鱗を形成するのだろうか。あるいは、目に鱗があったら、天からの光による目つぶしにビクともしなかっただろうなどと言ったら、屁理屈の誹りを免れないだろうか。

そこで、簡単に思いつくのは、現代に至るまでの後世の用法と同様、「目の鱗」というのは、開眼前の無知の情態を指す比喩に過ぎないという捉え方だろう。ただ、「鱗のようなもの」(ホース・レピドス)というギリシア語は生々しいから、諺にもなったのだとも推測しえよう。

すると、目つぶし光線は鱗の形成を齎したのではなく、肉眼を閉じさせ、誤った信念への反省の契機を与えただけになる。鱗は光線の照射以前からパウロの目を覆っていた。アナニアの按手はパウロを聖霊で満たし、鱗の剥離=心眼の開眼をついに実現させたのだ。「聖霊の光」という言葉もある。

ならば、再度、神の光がパウロを貫いたのであり、回心への促しの光と、徐々に芽生えた回心への志向を完遂させる恩寵の光という二段階の光に照らされて、パウロは新しい人に生まれ変わったのである。

後日パウロが書いた「ガラテア書」(2: 20)に曰く、「もはや我、生くるにあらず、キリスト、我が内に生くるなり。」

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